商工会は、地域の事業者が業種に関わりなく会員となってお互いの事業の発展や
地域の発展のために総合的な活動を行う団体です
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冒頭から「陶器土、右之土天下無双の上品に御座候。」と始まるのは1771年(昭和8年)、時の天草郡代に提出された建白書『陶器工夫書』。著者は江戸期を代表する才人平賀源内。ここで言う「陶器土」とは天草陶石、源内はこれを絶賛します。さらに『工夫書』は職人を仕込み、外国から輸入した陶器を手本にする等の工夫で「随分宜焼物出来可仕候(いい焼物が出来ますよ。)」とし、こうやって外国に負けない良質の陶器を作れば、日本人が高額な外国陶器を買うこともなく、むしろ「唐人阿蘭陀人」等がこれを買い求めて、それが「永代の御国益」になると明言します。
この建白書は、田沼意次のはからいで長崎遊学した折に源内が書いたものですが、天草陶石の産地化を提言した初めての文書を、当時殖産興行の指導者平賀源内が作成したのは画期的でした。高浜村庄屋上田伝五衛門が天草陶石を使って開窯してから9年目の出来事です。
天草地方で最も古い焼き物は慶長年間(1596~1615)頃の楠浦焼と言われ、豊臣秀吉による朝鮮出兵で連れ帰った朝鮮人に作らせたものが天草陶磁器の始まりと言われています。優れた陶石が産出する天草では、1650年頃に内田皿山焼の磁器が焼かれており、延宝年間以降は、高浜焼等の窯元で磁器が焼かれていました。天草陶石の発見を、江戸のダビンチ平賀源内は海外輸出振興に役立つ「天下無双の品」と表現し、いち早くブランド化を構想していたといいうエピソードも。
近代以降は明和2年(1765年)に天草郡本戸村水の平(現本渡市)で水の平焼が創業を開始し、瀬戸磁器の始祖加藤民吉が天草での修行を基に瀬戸磁器を創業します。もともと天草は、天領であったため藩窯的なものはありませんでした。各村の庄屋たちが村民の自活のための磁器や陶器作りが根本にあり、そのため長い間、他の産地のように「ブランド」として表舞台に出ることは少なかったようです。
平成15年に日本の伝統工芸品の認定を受け、現在11の窯元で、天草陶石を使用した透明感のある純白の磁器や、島内の陶土を用い、性質の異なる釉薬の二重掛けの技法を用いた赤海鼠の陶器など、個性的で多様・多彩な陶器が焼かれています。また自主的な展示会も開催するなど、全国進出を目指した新しいブランド化への取り組みも活発に行われています。
「アズレージョ(AZULEJO)」は、ポルトガル語で陶板画のことで「青色」を語源としています。天草は16世紀頃に、ポルトガルとの深い関わり合いがありました。
2005年のJAPANブランド指定をきっかけに、400年ぶりにポルトガルとの技術交流を行い、天草陶磁器を使った絵付け陶板「天草アズレージョ」が誕生しました。
「アーティストコレクション」、「窯元創作コレクション」等、天草独自の多様な作品作り販売を進めています。
天草陶石からつくられる天草陶磁器の特長の、際だつ白さや色合いのバリエーションを活かしてランプシェードシリーズ[akaria/a=アカリア]を開発しています。イサム・ノグチ氏の和紙のランプシェード「AKARI」から発想を得たこの開発プロジェクトでは、天草陶石のきめ細やかさによる「やわらかな光の拡散」に注目し、和紙の風合いにも似た独自の「灯り」の製品化を進めています。
商品ブランド名である[akaria/a=アカリア]は"akari amacusa"の略称です。
16世紀頃から世界品質だった「天草陶石」。
その美しい白磁とポルトガルの伝統が融合してできた「天草アズレージョ」を自分のものに。
上手く描く秘訣は絵付けしたいデザインをあらかじめご用意いただくこと。
オリジナルのアズレージョ作りを体験できます。
●体験時期 年末年始以外の通年
●時間 9:30~17:00
●定員
1名~50名(要予約)
■内田皿山焼窯元
熊本県天草郡苓北町内田554-1
TEL:0969-35-0222
古内田皿山窯の由来は17世紀と推測され、有田焼、波佐見焼等についで磁器では日本でも2番目に古い貴重な窯跡だと言われています。世界でも良質な陶石を原料に、素朴な民芸白磁の製品をはじめ、生活に密着した陶磁器、装飾品づくりに取り組んでいます。
自分好みの陶器づくりを、陶石の里・天草で体験できます。
●体験時期 年末年始以外の通年
●時間 9:30~17:00
●定員
・手びねり 1名~30名(要予約)
・絵付け 1名~50名(要予約)
■内田皿山焼窯元
熊本県天草郡苓北町内田554-1
電話0969-35-0222